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東山道巡察使の淡海三船は聡明だが

767年(神護景雲元年)6月5日 (旧暦) ― 東山道巡察使の淡海三船は聡明だが自らの栄達を願い国司等の検察評価を厳しく報告した。下野国司等は不正を行っていたが、三船は前介の弓削薩摩の罪として薩摩を不当に職務に就かせなかった。これにより三船は現職から解任された。昨今、人を検め裁く者が法の文言に拘泥し正しい道理をもって判決していない。これは官吏の道に沿うものではない。今後このようなことがある場合は法をもって裁くこととする。〔続日本紀〕
770年(宝亀元年)8月21日 (旧暦) ― 称徳天皇の崩御に伴い、宇佐八幡宮神託事件に連座した道鏡が造下野薬師寺別当として下野国に下向する。〔続日本紀〕
771年(宝亀2年)10月27日 (旧暦) ― 武蔵国は元来山道に属し、(使節は)直に下野国足利驛に至るところを枉げて上野国邑楽郡から5驛を経て武蔵国に至り、これを返して下野国に向かうため疲労が大きくなる。武蔵国は海道も兼ね東海道は相模国府から4驛にて下総国府に至っており(使節の)往来に便利である。よって、武蔵国を東山道から東海道に改めれば、取れば公(使節)私にわたり便利で人馬も休養できる、と奏上され光仁天皇はこれを許可した。これにより武蔵国は東海道に転属された。〔続日本紀〕
772年(宝亀3年)4月7日 (旧暦) ― 下野国が造薬師寺別当の道鏡が亡くなったことを光仁天皇に伝える。庶人の格式にて葬られた。〔続日本紀〕
772年(宝亀3年)10月11日 (旧暦) ― 下野国が奏上した。「管内の百姓が陸奥国に逃亡すると、陸奥国は太政官符をもって受け入れています。姦偽の輩は争って課役を避け陸奥国に逃れたものは870人になります。下野国司はこれを禁じていますが止めることが出来ません。使者を遣わして確認させましたが、陸奥国は蝦夷寄りで民情が険悪であり、これを囲って相いに隠し合うため見出すことができません。」太政判官は判定した。「陸奥国司は下野国使とともに検めて、本の郷に還させること。」〔続日本紀〕
773年(宝亀4年)2月6日 (旧暦) ― 下野国で火災があり、正倉14宇、穀糒23,400斛が焼失した。〔続日本紀〕
775年(宝亀6年)3月2日 (旧暦) ― 下野国ほか22国に始めて少掾、大目、少目計46人が配置された。〔続日本紀〕
775年(宝亀6年)7月16日 (旧暦) ― 下野国が、都賀郡の黒鼠数百匹が草木の根を数十里に亘って食べてしまった、と言上する。〔続日本紀〕
775年(宝亀6年)10月13日 (旧暦) ― 出羽国が蝦夷対策で国府を遷すため兵996人を派遣するよう言上したため、下野国ほか相模、武蔵、上野の4国の兵士が遣わされた。〔続日本紀〕
776年(宝亀7年)5月2日 (旧暦) ― 出羽国志波村で賊が反逆したため応戦したが官軍が不利となり、下野国ほか下総、常陸等から発した国騎兵がこれを征伐した。〔続日本紀〕
777年(宝亀8年)5月25日 (旧暦) ― 下野国ほか相模、武蔵、下総、越後に鎧200領を出羽国鎮所に送るよう依頼が出た。〔続日本紀〕
782年(延暦元年)5月3日 (旧暦) ― 下野国安蘇郡主帳の外正六位下若麻続部牛養が軍粮を献じて外従五位下を授かる。〔続日本紀〕
789年(延暦8年)7月25日 (旧暦) ― 下野、美作の両国が飢饉となったため、救済した。〔続日本紀〕
796年(延暦15年)11月21日 (旧暦) ― 下野国ほか相模、武蔵、上総、常陸、上野、出羽、越後等の国民9,000人が陸奥国伊治城に遷置される。〔日本後紀〕
798年(延暦17年)6月21日 (旧暦) ― 下野国ほか相模、武蔵、常陸、上野、出雲等に対し以下のように勅される。「帰降する夷俘には仁徳を施し、慈しみ恵んだので、命令することなく帰降を望むようになり、毎年服・禄・物を与えるので、その資粮が絶しかねない。また慈しみ恵むあまり、事は時節の饗賜の類にまで及んで、国司達はこれを命ずることが横行している。時節の饗賜は自所内で収め、先ずは申し出て、その後で実行するように。」〔類聚国史〕
802年(延暦21年)1月11日 (旧暦) ― 下野国ほか駿河、甲斐、相模、武蔵、上総、下総、常陸、信濃、上野等の浪人4,000人が陸奥国胆沢城に配された。〔類聚国史、日本紀略〕
802年(延暦21年)9月3日 (旧暦) ― 下野国ほか全31国で田が損害を被ったため、租税徴調が免除された。〔類聚国史〕
818年(弘仁9年)7月 ― 下野国(ほか相模、武蔵、常陸、下総、上野等)で地震が起きる。数里に亘って山が崩れ谷が埋まり、多数の百姓が圧死した。〔類聚国史〕
823年(弘仁14年)3月19日 (旧暦) ― 吉弥侯部道足女(下野国芳賀郡の人)が、村民の手本としてその行いが称えられ、少初位上の位階を授かり、田祖が終身免除された。〔類聚国史〕
824年(天長元年)11月14日 (旧暦) ― 下野国人の三村部吉成女が、旌節の行いにより終身の田祖が免除された。〔類聚国史〕
831年(天長8年)5月23日 (旧暦) ― 下野国の田地の400町5段を勅旨田とした。〔類聚国史〕
835年(承和2年)2月23日 (旧暦) ― 下野国武茂神が従五位下を奉授する。〔続日本後紀〕
836年(承和3年)12月25日 (旧暦) ― 下野国従五位上勲四等二荒神が正五位下を奉授する。〔続日本後紀〕
838年(承和5年)9月6日 (旧暦) ― 下野国那須郡三和神が官社を受託する。〔続日本後紀〕
841年(承和8年)4月15日 (旧暦) ― 下野国正五位下勲四等二荒神が正五位上を奉授する。〔続日本後紀〕
848年(嘉祥元年)8月28日 (旧暦) ―下野国正五位上勲四等二荒神が従四位下を奉授する。〔続日本後紀〕
857年(天安元年)11月17日 (旧暦) ― 下野国従三位勲四等二荒神に封戸1戸が充てられる。〔日本文徳天皇実録〕
858年(天安2年)4月15日 (旧暦) ― 下野国に大掾少掾各1名計2名をおくこととなる。〔日本文徳天皇実録〕
859年(貞観元年)1月27日 (旧暦) ― 下野国従三位勲四等二荒神が正三位に進階する。〔日本三代実録〕
859年(貞観元年)4月7日 (旧暦) ― 下野国で大風の被害が出たのでこれを救済した。〔日本三代実録〕
860年(貞観2年)9月19日 (旧暦) ― 下野国正三位勲四等二荒神社に始めて神主を置く。〔日本三代実録〕
863年(貞観5年)5月2日 (旧暦) ― 下野国が准大国に制定される。〔日本三代実録〕
863年(貞観5年)10月7日 (旧暦) ― 下野国従五位上勲五等温泉神が従四位下を奉授する。〔日本三代実録〕
865年(貞観7年)12月21日 (旧暦) ―下野国正三位勲四等二荒神が従二位を奉授する。〔日本三代実録〕
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869年(貞観11年)2月28日 (旧暦) ― 下野国従二位勲四等二荒神が正二位に進階する。また、従四位下勲五等温泉神が従四位上を奉授する。〔日本三代実録〕
874年(貞観16年)閏4月25日 (旧暦) ― この日より3日間、60名の僧が平安京紫宸殿において大般若経の伝読を行い、金字仁王経71部を五畿七道各国に1部ずつ安置する。また下野薬師寺、大宰府観世音寺、豊前国弥勒寺(宇佐神宮の神宮寺)に各1部を別途配置する。〔日本三代実録〕
875年(貞観17年)5月10日 (旧暦) ― 下総国の俘囚が反乱を起こし官庁や寺社を焼き払い良民を殺戮したと、下総国司甘楽麻呂が奏言してきた。このため、下野国ほか武蔵、上総、常陸等に各300人の兵の発動命令が出された。〔日本三代実録〕
875年(貞観17年)6月19日 (旧暦) ― 下野国が(下総国に出兵し、)反乱した俘囚89人を殺害または捕獲したと言上する。〔日本三代実録〕
875年(貞観17年)7月5日 (旧暦) ― 下野国が(下総国に出兵し、)賊徒27人を討殺し4人が投降して来たと言上する。〔日本三代実録〕
875年(貞観17年)12月27日 (旧暦) ― 下野国従五位下伊門神が従五位上を奉授する。〔日本三代実録〕
878年(元慶2年)4月28日 (旧暦) ― 元慶の乱に対し下野および上野両国から1,000ずつの兵が徴発される。〔日本三代実録〕
878年(元慶2年)9月16日 (旧暦) ― 下野国賀蘇山神が従五位下を賜る。〔日本三代実録〕
879年(元慶3年)3月9日 (旧暦) ― 下野国正六位上綾都比神が従五位下を奉授する。〔日本三代実録〕
879年(元慶3年)6月26日 (旧暦) ― 元慶の乱が鎮圧されたため軍が解かれ、官軍として従軍していた下野国前権少掾従七位下雀部茂世、権医師大初位下下毛野御安が他国の軍士とともに国許へ帰還したと奏言された。〔日本三代実録〕
880年(元慶4年)8月29日 (旧暦) ― 下野国従五位下三和神が正五位上を奉授する。〔日本三代実録〕
881年(元慶5年)5月2日 (旧暦) ― 下野国を準大国とする。〔日本三代実録〕
882年(元慶6年)12月13日 (旧暦) ― 下野国が連理樹が獲れた事を言上した。〔日本紀略〕
885年(仁和元年)2月10日 (旧暦) ― 下野国正五位上三和神が従四位下を奉授する。〔日本三代実録〕

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2009年06月05日 12:08に投稿されたエントリーのページです。

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